会員紹介インタビュー 清水淳一郎君
では今日も会員紹介インタビューということでございます。本日はかの伝説の、50年くらい前からJCにいるという、あの清水先生からお話をお伺いできたらと思いまして、こうして罷り越しまして候。では会員紹介インタビューを、はい、すみません、この密室の中で(※車内です)、とっても狭い中で男二人ぎゅうぎゅうに詰められながらも、はい、はじめさせていただきたいと思います。
――よろしくお願いします。
こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。まずはお名前とご職業から良いですか?
――清水淳一郎です。職業は保育園の園長をやっています。
園長さん。保育というと認定とか認可とかの保育園?
――社会福祉法人私立の認可保育所の園長です。
なるほど、現時点でどれくらいやってるんですか?
――園長になってからは今年で7年目かな。
じゃあ、その7年前まではその園で働いていて、という感じですか?
――ずっと保育園で働いていて。大学卒業してからすぐに保育業界に入っていますので。
それはやっぱり子供が好きでとか、教育に興味をもってとかがあって入ったんですか?
――これは残念ながらそうではなくて、もともといつかは自分の親がやっている家業に近い保育園を、手伝うだろうなという風には思っていたんですけれども、すぐにはやるつもりもなかったんだけれども、保育園とかが二つ目出来る、三つ目出来るって話になって、戻って手伝ってほしいという風に言われて、はじめましたね。
子供に対する思いとか教育に対する思いが、もともとあったっていうよりは。
――もともとは教師になりたい。という思いがあったり、もしくは介護系とか高齢者障害者。大学卒業する時には障害者に関わる仕事をしたいと思っていて、就職ももう決まってたんですけれども、その就職を蹴って自分の家に戻ってきたっていう感じですね。
なるほど、じゃあもともと教師とか介護福祉士とかそういうのをやろうとか?
――そうそう、ヘルパーとか取ってて、障害者のヘルパーとかも当時あったんで。それを取って、それでアルバイトとして働いてましたね。
大まかにいうと、福祉に関わるというか、教育とか福祉の大枠の中に関わるものだったんですね。
――そうそう。
今は園長先生として、7年目。ここからはいくつかある保育園をまとめるというような立場に、将来的にはなるんですかね。
――もう実質は他の保育園にもかかわっているんだけれども、長としてやっているのは相模大野にあるひよこ第3保育園だけど、法人の理事でもあるので、他の園の状況を見たりとかはしているし、法人の中にも介護の方もあるので直接は関わってないけど、内容は見ていますね。
なるほど。今読んで頂いている方…市民の方もいらっしゃるので、例えば保育園と幼稚園の違いを知らない方とかもいると思うんですけども。端的に言うとJCでも保育園と幼稚園の園長さんもいますけども、これは何が違うんですかね。
――まあ簡単に単純に言うと保育園は0歳から入れるんですけれども、両親が共働きとかそういう人が基本的に入ります。もしくは何らかの理由があって入る人が保育園で、幼稚園の方は3歳以上から入れるお父さんお母さんが働いているとかそういう理由は関係なく入れるということと、厚生労働省が管轄しているのが保育園で、幼稚園の方は文部科学省がやっている。
勉強を教えるのは幼稚園だけなんですか?
――勉強を教えるっていう表現は今正しくなくて、教育っていうものはもう学習指導要領とか保育所保育指針とかっていうのがあるんだけれども、その内容はもう幼稚園と保育園で統一されています。なので、基本的には幼稚園でも保育園でも教育はしています。それが統一されたのが平成29年なので、まだ長くはないけれども。
一般的に勉強教えてもらう幼稚園という話と、保育園だと見てもらう、遊んでもらうみたいなイメージのお父さんお母さんが多いと思うんですよ。今はそれが変わったということなんですね。
――まあ変わったというか、教育っていうのは本来は机に座って学ぶというのが、日本人古くからの考え方で、今の時代では時代遅れというか、それが必要な教育ではないんですね。乳幼児期に必要なのはそれよりも学ぶ心だったり、気づく心だったりとか、自分から何かしてみようとかっていう思いを、本来は学んでいかなければいけない大切な時期なんだけども、詰め込みみたいな方式で「あいうえお」を習ったりとか「英語」をならったりとか「漢字」を習ったりとかするのは、小学校でもやる事なので、先取り教育をしても意味がない。本来は非認知能力と言われている、点数とかでは現れないものが必要なんだよと言われているんです。それはOECDからも言われていることなので、それに日本が遅れているんですね。やっとその平成29年に統一されて、そういう風に目指していきましょうということになったので、幼稚園が教育とかっていう風に勉強するところとかっていう風に捉えるんじゃなくて、勉強っていう概念から頭を切り替えないと、これからのグローバルな世界には生きていけなくなるかなっていうのがありますね。
なるほど、机に座って詰め込んだり塾に行けばいいわけではなくて、子供にとって必要なものを本当に与えるものを幼稚園や保育園問わず、保護者の方には見ていただきたいということですね。
――気づいてもらいたいですね。
熱くなってきたところで、コロッとJCの話なんですけれども、JCはいつ入られましたか?
――JCに入ったのは2006年ですね。
というと13年前。
――そうなる? 13年前か。
50年前ではないと(笑)。入ったきっかけは?
――入ったきっかけは赤十字奉仕団というのが相模原にもあるんですけれども、世界規模であるんですけれども、それに私も所属まではしてないんですけれども、活動を手伝っていたのもあって、それにJCのメンバー増田先輩が入っていて、その紹介もあってJCに入りましたね。
なんか今だと来た人って、これがあって決心して入ったみたいな、そういうきっかけみたいなものがある人もいるみたいなんですけど、その見に来て最初はなんか驚くじゃなくですか。呪文唱えるし。ちょっと引いてしまうところがある方もいらっしゃる中で、その中でもこの人がいるから、こういう例会を見ていいなと思ったとか、なんか色々な自分の中のきっかけってあると思うんですけれども、13年前の記憶を思い出して(笑)
――……かすかな記憶ですが、というのは冗談で入る理由は実はもうはっきりと覚えていて、なぜかというと私は相模原生まれなんですけれども、上溝で育っていて小学校以上は世田谷の学校に通っていたのがあって、地元に友達がいないし、知り合いがいないっていうことを思っていたのと、すぐに実家の家業に入ってしまったので、ちょっとそれを負い目に思ったんですね。何か知り合いを作った方がいいだろうなって思っていたのと、あと理事長の息子が保育園に入ってきているから、いくら役職がなく平社員で入ったとしてもそういう目で見られていない。ということもあって、やっぱり下っ端の経験という表現はおかしいけれど、そういう偏見の目で見られないところに入って経験することが必要だろうなと思っていたので、どこかそういうのを入りたいという風にその当時は思ってたんですね。その時にそういうような表現でJCがあるよって誘われたので、これは入るべきかなって思って。更に例会で佐藤さん、『「はい」かイエスか喜んで』をきいて。
あの講演で有名な。
――あの人が私のオブザーブしたときの、入会してたかな? たぶんオブザーブだと思うんですけれども、その人の講演だったのでそれでちょっと心動かされて、たぶんそれが大きくて入会に至ったかなって感じですね。
なるほど。確かにあの講演は僕もアカデミーの時に聞いたんですけれども、ある意味最初理不尽なのかなブラック企業なのかなって言い方にもかかわらず、そういう常識じゃなくて、例えば俺がどんなことを言っても我慢しろって代わりに、お前がどんなことをしても受け入れてやるっていう男気があって成り立つっていう。また別の世界の論理っていうのを改めて聞いた気がして。
――もともと体育会系でずっと来ていたから、そういうのが好きだったんですかね(笑)
逆に(笑) それで入ってみてどうですか? お友達、知り合いを作るとかその修練を積む、いわゆる下っ端とかドMな心を満たすみたいな。そういうもろもろは満たされたんですか?
――まあ正直言うと最初の頃のJCっていうのは、色々ルールを逸脱しているような事が有り、今じゃ考えられないようなJCな感じで。本当はもうそれは終わりかけの時代なんだけど、そういう状況で入ったのでいろいろ破天荒な部分もあったけど、社会人2年目で入ったので、すごく刺激的な部分があってそれが楽しかったっていうのもあります。それと沼尾先輩のところに配属されて、昔はアカデミーというのがなかったので、沼尾先輩のところに配属されたんだけど、すごく優しく色んな意味で可愛がっていただいたという……のかな。
今とはかなり世代が違いますからね。色々と。
――可愛がり方が今とは全然違うんだけど、それでJCの楽しみも覚えていってって感じですね。
なるほど。今10年以上のキャリアだと神田さんとか、清水さんとか……あとはいないですもんね、長い人が。そういった色んな文化を知っている、その文化も良きものも悪いものももちろんあったと思うんですが、失われる前にこのインタビューだけだと本当にさわりですけども、受け継ぐ形を作っていければいいなと今思ったんですけれども。
――変わらないものが絶対に一つあるなって思っているのが、JCっていくら文化が発達してもJCは人間と人間との繋がりなんだなって思ってるから、いくらメールとかLINEが発達してもやっぱり会って、色々自分の思いとかを話し合って伝えていって、そしてなんか友情が出来てくるのが変わらないんだなって思っているし。よく言われる人は人で磨かれるっていうのはその通りだなっていう風に思って。それは変わらないだろうなって。
最後はやっぱりface to face。確かに年代の違う僕と清水さんがこの、なぜか狭い車内でよくわからないことを話し合っている関係になったっていうのも、一年間同じラインだったときの話もあればこそっていう(笑) そんな信頼関係が磨かれたわけですよね(笑)
――あっはっはっは、本当だよ(笑)
色々身になるものがあったと思うんで受けれども、私という石で磨かれて。ちょっととがっていたかもしれませんですけど(笑) ありがとうございます。そして最後仕事の話のところにちょっと戻るんですけれども、あとはその保育園の方とか幼稚園の方とかJCに限らず、相模原にもたくさんあると思うんですけれども、他の保育園とはうちは違うっていうところ、強みとか何か一言。
――他の保育園と違うっていうところで言えば、うちの保育園っていうのは、園外保育って言って外遊びが結構中心になっていて、自然の中で子供自身が気づく心を学んでいこうということでやっています。だから、子供達主体的にというか、子供達がこうやりたいとかこういうことにチャレンジしたいということに保育士たちが応援するので、いわゆる今日は何をするよーっていうのは、もちろん保育士も考えておきますけれども、子供達と一緒に考えて決めながらやるという主体でやっているので、今求められている非認知能力の決断力とか、考える力とかそういうところにはかなり直結しているかなと思っています。保育園の子供達も自分たちで話し合って、今日これやろうあれやろうとできるようになっていきますので、これからのAI時代の中で計算とかそういうものはAIがしてくれるけど、決断をするのは人間しかできないことなので、そこに特化して磨いて行ければなあと。
ちなみにそれ、清水さんの保育園に入りたいって人がいたら、入れるかって言ったらなかなか入れなんですか?
――保育園は入れないんですよね。嬉しい事にうちの保育園は人気があるので、待機児童があることもあって、ちょっと入りづらいっていうのは正直あるし。私もこういう話をしているくらいなので、今短大で非常勤講師もして、保育士の卵を作るために活動している。それでこういう話をしているおかげでそっち側でも給料をもらいながらやれているなっていうのもあるので。
儲かってるんですね。
――儲かってはいないよ(笑) 恐ろしいほど安い金額(笑)
そういう保育園に入れてもらえないにしても、なにかしら相談があるとJCメンバーも含めて、清水先生の方へ自分の子供についてとか相談があればもちろん優しく教えていただいたり。
――それは仕事の中に保育園の中で、相模原の保育園はどこでもそうなんだけれども、子育て広場事業というのがあって、それは相談業務を受けなければいけないっていうのがあるんですね。だからもちろん保育園に色んな相談があればいつでも電話していただけたり、来ていただければ相談を受けます。
保育園の場所は相模大野ですか?
――保育園の場所は南区の相模大野の近くで、豊町という場所にあります。
保育園の名前は。
――ひよこ第3保育園です。
その保育園の園長先生が清水大先生というわけですね。
――そうですね(笑)
わかりました。そしたらJCメンバーに対して、最後皆さんに一言お願いしてもいいですか?
――やっぱりJCっていうのは最終的には自分で決断して、やる事だと思っているんで、人にやらされるという風に思ってやるというのは苦痛かなと思うんで、自分でやっていく。そしてそれに後悔しないようにするためには、マジになると。マジになって一生懸命やれば後悔や大変だなった思うことが減ってくるかなと思うし、その分成長していくと思います。今は、さっき言ったけど非常勤講師になるようなきっかけになったのも、JCはチャレンジするものだと思って私も30超えてから大学院を受験することをして、それも50周年の、誰かさんを指導しているときに裏で受験をして、合格して入るというような(笑) かたちでしたので、JCでそういう気持ちを学んできたので、それっていうのは結果に絶対表れるので。自分でやると決めて、本気でやるっていうのを決めていければいいのかなって思います。絶対JCは誰かがサポートしてくれたり背中押してくれる人が出てくると思うし。
本気になってやってるとみんな力になりたいって思うもんですもんね。
――そうそう。
本日はどうもありがとうございました!清水先生はいつでも会員の皆様のご相談を受け付けておりますので、ぜひお気軽にどうぞ!!