相模原市は、日本中にどこにでもある農業、生糸で生計を立てる複数の集落の集まりから軍都計画により急速に都市計画が進み、1954年、8万人が住み暮らすまちとして相模原市が誕生しました。そして、1965年に相模原市に生まれた1つの光は、より良い未来を描き力強く輝き、互いに結びつき、形を創り、市民の歩むべき方向を指し示してくれました。いつの時代も、人を想い勇気をもって挑戦する青年の姿が人の心を動かし未来を創ってきたのです。人口10万人を想定したまちづくりは、今では72万人の人が住み暮らすまちになり、首都圏南西部における広域交流拠点都市そして東京都心部への諸機能の一極依存形態から分散型の広域多核都市複合体の一翼として期待されるまでになりました。この躍進は、単に都心から近いベッドタウンだからではなく、より良いまちにしていこうと変化を恐れずに人を想い、まちを想い勇気をもって挑戦をし続けてきた先人たちの結晶であり、その精神は今でも色褪せることなく私たちに引き継がれています。
相模原青年会議所は2025年創立60周年を迎えます。60年前と比べると社会は激的に変化しました。これからは、高度経済成長に乗り人口が急増した時代から人口減少と急速な高齢化が進行する時代になります。また、大量生産・大量消費の経済活動が中心の社会構造から社会や環境の課題解決と経済活動が密接に関わる時代になります。青年会議所を取り巻く環境も、青年会議所がある時代から今では多様な主体がひとづくりまちづくりの理想を掲げ青年会議所もある時代へと変わりました。私たちの最大の価値は何でしょうか。それは、今を懸命に生きる20歳から40歳までの青年が、家族・会社・地域のより良い未来に向けて、何が起ころうとも歩みを止めず、失敗を恐れずに挑戦し勇気を届け、人々の心を動かし、その結果、かけがえのない繋がりと可能性を地域に生み出し未来を創ってきたことだと考えます。
生産年齢人口の減少、高齢者人口の上昇、経済構造の変化、公共・公益サービスの利便性・実用性の低下といった喫緊の課題に対して、青年らしい発想と培った繋がりを最大限活かして未来のありたい姿を設計し、全市民を巻き込んだ魅力ある相模原を描いて参ります。そして、まちに新たな輝きを生み出すとともに、溢れる輝きを結び付けることで多様な道しるべを生み出し、誰もがこのまちに居場所を感じ一人ひとりの挑戦を後押しできる未来を描く必要があります。そうすることで、共に支え合い、誰もが自らの可能性を信じて安心と期待を胸に挑戦できるようになり、地域への愛着と誇りが育まれ、住み続けたいと思える活力あるまちが実現するのです。
また、関係諸団体の方々からご支援をいただきながら、共働しながら、人に、まちに積極的な変化を創造し未来を創ってきた相模原青年会議所は、地域そして社会に様々な輝きを生み出してきました。誕生からこれまで支え、共働いただいた行政、関係諸団体、OBシニアそして同志への感謝を伝えるとともに、これからも、共に地域の理想を描いて挑戦する機運を高めて参ります。
そして今日に至るまで、ボーイスカウト相模原第七団の結団・育成、相模原市民桜祭りの立ち上げ、スポンサーLOMとして大和青年会議所、津久井青年会議所の立ち上げ、韓国釜山海雲台JCとの姉妹締結など、相模原青年会議所が生み出してきたこれまでの輝きを正確に見つめ直し繋いでいかなければなりません。創立から今までを振り返るとともに50年代の運動を総括し後世に語り継がれるものを残し、私たちの運動と地域に溢れる多種多様な運動を広く発信する広報をとおして各時代の輝き、地域の輝きを際立たせて参ります。
60周年という大きな節目に歴史への感謝の心と想いを繋ぎ、自分自身や家族・仕事の成長を望み、他者を信じ、一歩踏み出して、新たな繋がりと可能性を地域に生み出して参りましょう。